先祖代々受け継がれる匠の技。純玄米黒酢と共に歩み続ける福山物産「くろず屋」の原点がここにあります。

くろず屋写真館

純玄米黒酢の歩み~1930年代から現代~

写真家族写真
◎創業者の「重久盛吉」は、この地に最高級の純玄米黒酢を造ろうとの夢に燃え、我が子の「重久盛一」に純玄米黒酢造りの技術をみっちりと修行させました。
「世界一美味い酢を造れ!どんな世の中になっても自然の本物の味を失っては駄目だ。味良し体に良しの伝統を守れば喜んでくれる人がいるものだ」と口癖のように聞かされたそうです。
しかしながら戦後間もない頃、食糧難の時代に玄米の入手が困難となり「重久盛一酢醸造場」当主 重久盛一は、黒酢の原料である玄米を自ら田んぼで作り、 福山の玄米黒酢の伝統を守り続けてきました。
純玄米黒酢の最大に危機は、昭和30年代前半に密造酒の疑いがかかり、国税局から黒酢の出荷禁止に追い込まれましたが、 先人(当時の黒酢組合の方々)が、国に働きかけ、もろみ製造免許を取得することで純玄米黒酢消滅の危機を乗り越えることができました。 それが今日の純玄米黒酢造りへと繋がっております。

トラック三輪

昭和33年

トラック四輪

昭和33年

トラック後1

昭和33年
福山の風景

トラック後2

昭和33年
福山の風景

◎「重久盛一酢醸造場」はフルネームを社名にしているのは珍しいことですが、「福山の純玄米黒酢」と言えば「重久盛一酢醸造場」の酢であるという自信と責任を明確にする為、自分の姓名を使っているのです。
先人の残した生活の知恵をそのままに、昔ながらの天然のままの製法を、代々伝えてゆく使命感で醸造しているのが、こだわりの純玄米黒酢と云える奥深いルーツなのです。

変わらぬ製法

麹

昭和30年代<麹>

麹(カラー)

現在<麹>

◎純玄米黒酢は、まず米麹造りから作業に入ります。この麹造りに最大のコツがあり、「麹を寝かせる二・三日で酢の全てが決定してしまう」と言われる由縁です。
この製法は秘伝とされ、受け継がれた経験とカン、麹の息遣いを聞き取り、温度調整に全神経を集中します。

かめ壷

昭和30年代<かめ壷畑>

かめ壷畑

現在<かめ壷畑>

◎鹿児島県・福山町の黒酢の醸造法は,特殊な手法で「かめ壺仕込み」と言われ温暖な気候と風土を条件とし、一年以上もの長い月日をかけて静置・熟成発酵を行う伝統的な手法です。
三種類の発酵法(糖化・アルコール・酢酸)を一つのかめ壷の中で同時に行うと云う、世界でも類を見ない発酵法なのです。


写真家撮影