斉彬は唐芋で焼酎を作り、その蒸留過程から銃製造のための工業用アルコールを抽出し、余ったものは薩摩の特産品にせよと助言したそうです。 芋焼酎の誕生と純玄米黒酢とは??

芋焼酎の誕生と純玄米黒酢

芋焼酎の誕生と黒酢 鹿児島大学 石原田秀一教授

コンセプトメイク

今から約150年前、島津斉彬は『富国強兵』という単純明快な国の進むべきコンセプトを打ち出しました。現在でいうところの政治マニフェストと言えます。その後の第二次世界大戦の苦い経験から、『富国強兵』というコンセプトに対しては賛否両論ありますが、ここではその明快さを評価したいと思います。

コンセプトの実現

斉彬はこのコンセプトに従い、数々の施策を集成館事業として実施しました。 斉彬が残した偉業は数多くありますが、ここでは『富国強兵』にちなんで軍艦の製造に着目します。

軍艦は、言うまでもなく『富国強兵』を推進する上で最も重要かつ象徴的な存在です。 (我が国初の軍艦『昇平丸』が薩摩藩で製造され、そこに初めて日の丸が掲げられました。 日の丸は鹿児島発であることが全国的に知られていないのは、鹿児島出身の著者としても少々さびしい思いもあります。)

軍艦を製造するためには、造船、鉄鋼、動力、帆(繊維)、武器、等々、様々な技術を結集させる必要があります。 蛇足ですが、これらの技術はまさに、斉彬の死後約100年後・第二次世界大戦敗戦後の日本を復興に導いた造船、鉄鋼、繊維業に他なりません。 斉彬が敗戦やその後の復興劇を想像していたとは決して言いませんが、あの時、斉彬が集成館事業を開始していなければ戦後復興できなかったかもしれないと思うと、今の日本社会があるのは斉彬のおかげと思います。 そう考えると、なんだか斉彬が身近に感じます。

新特産品『芋焼酎』~武器のための工業用アルコール製造~

話は『富国強兵』に戻ります。 軍艦製造のみならず、武器の確保も至上命題でした。 当時の銃の主流でありました火縄式の銃に代わって、雨天でも発砲するために雷汞(らいこう)が必要とされました。 雷汞とは高濃度アルコールの高圧化によって発砲する仕組みです。 この雷汞製造の為に、多くの工業用アルコールが必要でした。 その工業用アルコールは、焼酎製造の蒸留の初期過程から得られる高濃度アルコールから作られたのです。

斉彬は唐芋(からいも)で焼酎を作り、その蒸留過程から工業用アルコールを抽出し、余ったものは薩摩の特産品にせよと助言したそうです。 それから150年経過し芋焼酎ブームとなり、今では1000億円を超える地場産業に育ち、鹿児島を代表する産業に発展しました。 戦後復興を支えた造船、鉄鋼、繊維業と同じく、現代の我々の経済社会を支えるきっかけがこの当時に生まれたのでした。

さらに注目すべき点があります。工業用アルコールの確保のための焼酎の原料を、米から芋による原料転換したことです。 庶民生活に欠かせない米の相場を高騰させる危険性があったため、この原料転換は斉彬の鋭い先見性が伺えます。

近年、先進国や企業によるバイオ燃料確保のために、とうもろこしなどのバイオ材料用穀物の価格が高騰し、食料難になり幾万もの尊い命が危ぶまれたことは記憶に新しいことです。 当時、斉彬は主農産物による軍需利用の懸念(物資の高騰)を予見し、あえて焼酎製造が難しいとされる芋を原料とした芋焼酎の増産を指示したのかもしれません。

自然なシナリオ

このように、芋焼酎誕生の歴史は、薩摩の歴史、文化、経済、政治、リーダー、庶民生活等々、種々の因子と密接な関わりがあり、時代の流れに逆らうことなく、幾度の因果の連鎖の流れのように見えます。 1つ1つの流れは因果関係がしっかりしていて、いつの間にか、所期には想像できなかった良きこと、悪いことに変遷し、今もしっかりと流れています。

ここで、福山の黒酢の起源に目を向けてみます。 福山の黒酢の誕生には諸説ありますが、最もポピュラーなものが、「福山が南斜面に位置し日当たり良好なこと、シラス台地から浸み出す湧水の存在、そして、そこに生息しているであろう土着菌の存在が絡み合って、その結果黒酢製造にふさわしい地域性として福山という地に根付いた」という説です。

大学に所属する者として、事実や資料に基づかない言動については慎まなければなりませんが、あえて福山の黒酢の誕生に言及しますと、特産品『芋焼酎』の誕生と比較するとあまりに偶発的であり、芋焼酎のそれと比べた場合に少々無理やり感があります。

先のコラムで原口先生が書かれている新諸説のような、その誕生の背景に、文化や人も見え隠れする、因果の重なりあいによる時間的流れの中で黒酢が誕生したはずと考えることはできないでしょうか。 それが福山であったことが必然なのか偶然なのかは、それぞれの解釈に委ねるとして、新諸説が次から次へと生まれ激論を交わすことこそが、福山黒酢産業にとって意味があることではないかと強く思います。 その新事実、真実を確定することよりも、それを見出すプロセスに地域、企業、関係者等々が参加し、自らが盛り上がっていくことのほうが、地域産業の発展に必要不可欠ではないかと思います。

新しいコンセプト~なぜ、共同地域ブランド化が必要なのか?~

幼少時代を福山で過ごした著者だから言えるかもしれませんが、黒酢の壺畑の近くを通るときには、その強烈な“におい”のために、鼻をつまんで、そそくさと通りすぎた記憶があります。 でも、最近ではそんな強烈なにおいはしないような気がします。芋焼酎も然りです。

小さい頃、水色調の瓶の焼酎に、大笑いする祖父のあぐらの上に座り、そのにおいのする焼酎を飲むことに子供ながらに理解できなかったことをよく思い出します。 鹿児島県の方々には、そんな経験をお持ちの方は大勢いらっしゃると思います。 ところが、焼酎ブームは、こんな地元の状況とは無関係に飲みやすさの追求から都会ウケする「すっきり味」の誕生によって、今次のブームを起こしたと言われています。 芋焼酎は見事に「芋くささ」から「すっきりさ」へ転換された新コンセプトを打ち出し、コンセプトのみならず、それを実現する技術を作りだし大量生産に成功しました。 コンセプトが容易で明快で、かつ本当に味や香りもそのようになっているから一気にブームが巻き起こったのでしょう。

また、『芋焼酎』が飲まれるときには、楽しい、悲しい、嬉しい等々、様々なシーンが想定されると同時に、ストレート、お湯割り、水割り、氷割り、果実との混合等々、飲み方もそれぞれが思いのままです。 これは市場開拓を可能とした都会での“すっきり”という一様性コンセプトの下での多様性飲酒法の存在が成功の鍵のようです。

最近では黒酢も様々なフルーツ類との掛け合わせで飲みやすさを追求しており、メーカーの並々ならぬ努力には脱帽でありますが、芋焼酎のような明確で分かりやすい「芋くささ」⇒「すっきりさ」のようなコンセプトメイクは未だできていないことも事実であります。 少々乱暴な言い方をすると、健康ブームに乗り『良薬、口に苦し』とまではいかなくとも、少しくらい癖があっても健康のために飲むといった程度であり、好んで飲む対象市場が芋焼酎市場の大きさと比べて圧倒的に少ない状況にあると言えます。

歴史や焼酎ブームからみた場合にも「○○○な黒酢」を明快に一言で表現できた企業が、次の黒酢業界のリーディングカンパニーになるだろうと思われます。 そして、その企業が全国規模の大手企業からではなく、地元企業から生まれることを願うのは著者が鹿児島・福山の出身だからという理由だけではないように思います。

ただ、これにはリスクはつきものです。 今、福山黒酢業界は大きな岐路に立たされているように感じてやみません。 そして、これを成し遂げるためには、今回紹介したような誕生秘話などについての激論を地域連合によって、新コンセプトメイクのための激論を推進することもその1要件と思います。

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